あなたがいつも訪れる病院の中を想像してみてください。診察室、病室など、その病院の風景は、あなたが子どものころからずっと変わらないのではないでしょうか。
しかし、これからは病院の中の風景は患者ごとにまったく違ったものになり、そこで過ごす体験も個人によって大きく変化する可能性があります。なぜでしょうか。
それは今後XR(VR、AR、MRの総称)が普及し、医療業界に大きな革命が訪れようとしているからです。
実は、「こんな手術ならされてみたい!」と思うほど、私たちの知らないところでとてつもない進化を遂げている医療業界。
医療ドラマの世界ではまだ描かれていない現実がそこにはあるのです。
というわけで、本記事で紹介するのはXRを使った医療の進化。
医療だけでなく、介護の現場でも、スタッフや患者(利用者)みんなに大きなメリットをもたらす未来の医療業界の姿をご紹介します。
手術は遠隔地からも支援できるように
まず紹介したいのは手術の領域です。
たとえば、腕のある医師が、どこからでも手術できるようになったらどれだけ素晴らしいでしょうか。実は、これに近いことが実現できるかもしれません。
遠隔地に住んでいる腕のある医師が、手術現場とオンラインでつながり、VRゴーグルを着用する。そして遠隔地からリアルタイムで3D映像を見ながら手術チームに参加し、アドバイスを送るのです。
こんな手術の姿が普及すれば、将来はどこに住んでいる人でも高度な医療サポートが受けられるようになるでしょう。これがXRの活用による手術革命です。
ほかにもいくつか例を挙げます。
まず、ARの活用としてはライカマイクロシステムズ社の取り組みがあります。
同社が提供する「GLOW800 拡張現実(AR)蛍光システム」は、ARを活用して、脳血管手術中に血管の状態をリアルタイムで投影できるというもの。
このGLOW800 拡張現実(AR)蛍光システムとICG(インドシアニングリーンの略。蛍光色素)を使うことで、本来暗くて見にくい血管の視覚的情報が補助され、医師は自然な色での大脳構造画像を見られるようになります。これにより、医師はクリアな空間感覚が得られた状態で手術できるようになるのです。
続いて、歯科業界では患者とのコミュニケーションが向上するXRのサービスが登場しています。
スイスにあるKapanu社が提供するARソフトウェアは、歯科医師が患者の口腔内を3Dスキャンすることで、患者に治療前の歯の3Dモデルを見せて治療の説明を行うことができるというもの。
これは、医師、患者双方が治療のシミュレーションがしやすくなることが狙いです。これまであまり想像しにくかった自分の口の中のイメージがリアリティを持ち始めるはずです。
ほかにも、患者のMRIやCTのデータをもとに、臓器などの3D画像を作成して分析することで、疾病や将来のリスク要因の早期発見につなげるような取り組みもあります。
手術時から、診察時まで。XRの活用はまだまだ進みそうです。
遠隔診療はXRと相性がよい
XRとの相性がよい領域の一つとして、遠隔診療が挙げられます。というのも、XRは現実世界を距離や物理的制約から切り離すと言われているからです。
ここでは、NECソリューションイノベータ社が開発した電子聴診器とスマートグラスを用いた遠隔診療の例を紹介しましょう。
これは、患者宅に訪れた看護師を介して、遠隔地にいる医師が患者を診察できるサービスです。医師はスマートグラスを装着した看護師の視点を共有してもらうことで、リアルタイムで遠隔地に住む患者に診察を行うことができるのです。
特に、最寄りの病院が遠い過疎地域や、医療サービスが不足している地域では、医師不足が深刻な問題になっています。
その点で、XRが地域医療の解決策となり得るでしょう。
医師の研修・学習ではリアリティをより感じられるように
続いては医師・看護師の「学ぶ場」におけるXR活用例を紹介します。
「学ぶ場」においてもっとも普及する可能性が高いXRの技術が、授業における3Dデータの活用です。
これまで、学生たちは症例を学ぶ際、教科書や動画などで学ぶことも少なくありませんでした。
今後、症例の3Dデータを見ながら学べるようになれば、学生は早い段階から症例をよりリアリティを持って感じることができるようになるでしょう。
ほかには、手術室など、実際の医療現場をVRで体験できるようにする取り組みもあります。
もし、VRで手術室の再現映像を利用した手術実習ができるようになれば、研修時点でのスキルはこれまでよりも飛躍的に向上するでしょう。さらに、手術時の緊張感も高い確率で伝わるかもしれません。
上記で示したような、主に「学びの場」におけるXR活用を進めている企業の事例を3つ紹介します。
一つ目は、イマクリエイト社のVRワクチン注射シミュレーター。これは、VRを使って筋肉注射の手順を医師が習得できるというものです。VR内に表示されるお手本に沿って行うだけで筋肉注射の練習ができ、実は新型コロナウィルスのワクチン注射の際などにも利用されてきました。
二つ目は、ジョリーグッド社。同社が提供する「オペクラウドVR」や「JOLLYGOOD+」は、臨床現場の360度VRカメラ映像を活用することで、実際の現場での業務のシミュレーションができます。
(出典:手術室のVRライブ配信とデータ蓄積を同時実現「オペクラウドVR」開発!日本医科大学付属病院と共同検証を開始|株式会社ジョリーグッド)
三つ目は、ジャパンディスプレイ社が提供する「VR一斉再生システム」です。離れた場所での医療研修を支援するサービスで、手術室の様子をVRで収集・提供し、遠隔地にいながら手術の様子を確認できます。しかも複数人で同時視聴が可能なので授業においても利用できるでしょう。
このように、医療の研修・学習の場では、すでにXRの活用が進んでいるものも少なくないのです。
体験入院ができる!
手術に診療、そして研修。これまでは医師や患者にとってのメリットを挙げてきましたが、実は、XRの普及は病院そのものの運営においてもメリットがあります。
すでに富士通は、東北大学と共同で自社の電子カルテに蓄積されたデータを活かし、診療情報や病院職員の勤務状況、患者の状態などを仮想空間上で再現し、病院の運営を最適化できるようにするための戦略提携を行っています。
これは、デジタルツイン(現実世界と対になる双子をデジタル空間上に構築し、モニタリングやシミュレーションができる仕組みのこと)上に患者像を再現することで、そこに患者のデータをリアルタイムで蓄積していくというもの。これにより、医師が患者に対して毎回最適な治療法や投薬計画、手術方針などを判断しやすい環境を準備することができます。
XRをうまく取り入れ、変わった取り組みをしている病院のひとつとして順天堂大学の例を紹介しましょう。
順天堂大学は、日本IBMと共同で、「メディカル・メタバース共同研究講座」を設置し、産学連携の取り組みを開始しました。その中には、面会アプリ「Medical Meetup」や、メタバース空間で順天堂医院の実物を模した建物に入って体験通院等ができる「順天堂バーチャルホスピタル」といった取り組みがあります。
面会アプリ「Medical Meetup」は、実際に患者と面会者が対面で会わなくても「ぬくもりのある面会」ができるように、メタバース上で面会ができるというサービスです。
患者と面会者のアバターがリゾート施設などの空間で会話をしたり、お出かけや乗り物での移動、ハイタッチなどで擬似的に触れ合えるなど、通常の面会の枠を超えた体験を楽しむことができます。
単なる電話やメッセージ以上に患者とコミュニケーションが図れるため、意外とニーズがあったのかもしれません。
「順天堂バーチャルホスピタル」は、VR技術を活用し、通院や入院を控えた患者や家族が、バーチャルで体験通院、体験入院できるサービスです。
「これから自分が入院する病院がどんな病院か?」「大切な家族がどんな病院にいるのか?」といった悩みや不安を解消する意味では、XRが安心感を提供していると言えるのかもしれません。
予防医療にも貢献するXR
ここまで、医療業界、といっても主に病院内のXR活用の説明をしてきましたが、近年では予防医療も重要なテーマとなっています。
予防医療の取り組みのひとつとして運動習慣があります。
ひとりでジョギングや筋トレをすることも正解ですが、それではモチベーションが続かないという人も少なくないはず。そこで、XRを活用するのはいかがでしょうか。
Capti(カプティ)社が提供するフィットネスバイク「Expresso Bike」は、VRと連動して自転車を漕ぐシステムになっています。ユーザーは、メタバース内に現れたトラックを自転車で漕ぎ、実際に「移動」する体験を得られるのです。
同じ時間に自転車を漕いでいる人が画面内に表示され、擬似的に「競争」ができるので運動はすぐに挫折するという人でもモチベーションが続くかもしれません。
ほかに、VRを活用した体験型フィットネスジムとして「Black Box VR」というものがあります。
これは、VRヘッドセットを使用して、オリジナルのVRゲームを通じて運動できるサービスです。簡単に言えば、「筋トレそのものがゲームになる」のです。トレーニングの進捗に応じてキャラクターの種類やレベルが変化するので、ゲーム的要素が強く、「これならハマりそう!」という人もいるのではないでしょうか。
ここで紹介した予防医療におけるXRの活用事例は、どれも健康を維持するために、いかにユーザーに楽しさやモチベーションを担保するかということに重きが置かれています。
こんなサービスがあったら、もっと運動してるのに!と思った方も多いかもしれません。
リハビリの現場でも「楽しく」
リハビリの現場においてもXRは活用されています。
リハビリの現場での代表的な例は、患者がVRゴーグルを着用し、VR環境で指示に従って運動したり、視覚情報や聴覚情報への反応を確認するもの。一体なぜ、これが通常のリハビリよりも高い効果が期待できると言われているのでしょうか?
それを知るためにmediVR社の「mediVRカグラ」を使ったリハビリを紹介します。
mediVRカグラとは、VR空間上に表示される対象に向かって自分の身体を動かすことで、姿勢バランスや重心移動のコツを掴めるリハビリテーション用医療機器です。
このmediVRカグラで進めるプログラムがおもしろいのです。
背景がシンプルで認知負荷が低い「水平ゲーム」「落下ゲーム」から、注意障害を惹起するよう認知負荷を高めた「水戸黄門ゲーム」「野菜ゲーム」「果物ゲーム」といったゲームが用意されており、すでに全国の大学病院やデイケア施設等に導入されています。
いつもと同じ病棟のリハビリ室よりも、VRゴーグル内で風景が変わったり、身体を動かす指示がいつもと変われば、リハビリ患者のモチベーションも変わるもの。
XRの普及により、患者は楽しく姿勢バランスや重心移動のコツをつかむことができるのです。
障がい者就労支援の現場ではメタバースを活用
続いて、障がい者の社会参加にメタバースを活用しているケースを紹介します。
山梨県大月市にある障がい者就労支援デマンド・アンド・ケアの取り組みです。
同施設は、障がい者支援の一環として、メタバース空間「Vma dome」内にデマンド・アンド・ケア専用フロアを設けました。
そのメタバース空間を障がい者に利用してもらったのです。専属スタッフによる支援のもと、利用者はブースの装飾や商品の販売(接客)、受発注の管理などを行います。
これにより、利用者は自分の生活リズムを整え、職業体験ができます。
たとえ現在障がいを持っており社会参加が困難だとしても、メタバース空間が彼らにとっての社会参加の訓練の場として機能するのです。
医療業界におけるXR活用の課題とまとめ
ここまで、主に医療業界におけるXRの活用事例を紹介してきましたが、もちろんそこに課題がないわけではありません。
まず、手術や研修など現場に導入する必要のある機械やシステムについては、病院にとっては導入コストの高さがネックとなるでしょう。加えて、もし導入できたとしても、VRなどを活用した手術や研修には一定のトレーニングが必要であることは間違いありません。
さらに、スタッフだけでなく患者に利用してもらう場合、年齢やテクノロジーに対する知識や経験も異なるため、丁寧に使い方を説明することはもちろん、そもそもXRを活用することに対しての理解を求める必要があるでしょう。
しかし、それらのハードルを乗り越えたとき、私たちを取り巻く医療業界はXRによってより便利に、かつ飛躍的な進歩を遂げているはずです。